
運命は時に残酷なこともある
自分が生まれたときから、死に向かっていることは
誰もが同じことで
その寿命は誰にも分らない、神のみぞ知る領域。
友達に「じゃあね、またね」といつものように
別れたあと
数日で旅立ってしまうこともある。
「いってらっしゃい」と見送った妻や夫が
まったく別人になって帰ってくることもある。
人生100年時代になっても
全員が100年生きるとは限らない。
13才の時に旅立った同級生や
37才で旅立った友人や
49才で旅立った友人の命は
なんとあっけないものだろうか。
残りの人生が、ベルサイユのばらに出てくる
オスカルのように
「事故の真実のみに従い、一瞬たりとも悔いなく与えられた生を生きた。愛し・・・憎み・・・泣き・・
人間としてそれ以上の喜びがあるだろうか」
という言葉通りに生きられたら、なんと素晴らしいことか。
負の感情を押し殺すだけではなく
そこから成長すること
悩むことも、泣くことも、
のちの喜びにつながることもある。
オスカルは生まれて間もなく
父親に男として、軍人として生きることを決められたけれど
そのような運命を与えてくれた父親に対して感謝しています。
「このような人生をあたえてくださったことを・・
女でありながらこれほどにも広い世界を・・
人間として生きる道を・・・
ぬめぬめとした人間のおろかしさの中でもがき生きることを」
どんな環境で生まれても
自分ではどうにもならないこともたくさんある中で
生きるしかないと
そこに幸せを見いだせたオスカルは
「私は幸せだ」といっています。
「悔いなく生きる」というのは
難しいことかもしれませんが
その時できることを、自分が一番いいと思う判断で
決断して進む。それがどんな結果になろうとも。
迷ったときに
1人で決断できないときに
どうぞ占いという方法もあると
頭の片隅に覚えておいていただけると嬉しいです。
アナでした